関ヶ原の戦いと但馬国の気質

関ヶ原の戦いにもう二つ。
田辺城の戦い(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%BE%BA%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)

大津城の戦い(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)

があります。このうち田辺城の戦いに但馬と丹波国連合軍が参戦しています。
今日は細川氏の無血開城の日です。あと2日でメインの関ヶ原で合戦です。
テレビでも特集組まれるかもしれません。

では、なぜ15000vs500で攻撃をためらったのか?
細川氏が天皇家と繋がりがあり貴重な歌集を持っており、
割と、
「なんかえりゃーもんがあるらしいで」「ほんまけぇ、わしゃどないなっても知らんで」
とためらった。
もしくは
「あんた総大将やりねー」「わしゃえーわー、影で言いたい」
と積極的なタイプが少なかった。

もっとも現実的な理由は
「わしゃ、田んぼが気になるわ」「秋祭りの準備がでけへんわ」
と、とりあえず田んぼが気になったので帰った
「あとはどないでもなるわ」と関心も無かった

なんて事を考えつつ、仮に但馬と丹波の連合国軍が三成の前に布陣してたら、、、歴史は変わったかも

広告)