1日たち、全否定といのも良くないので
冷静に情報を集めて見ました
の記事にあるように、語源という点で昔からあった言葉と言う説です。
養父市の図書室で探して見たところ、藪医者の記述、資料は分かりませんでしたし、
“残念ながら”国語辞典もない図書室なのでしたが、、、
ちょっと古風な国語辞典がありました。そこには
藪医者が沙石集に由縁ありという記述でした。
そこで、そもそもの発端である風俗文選を探してきました。
「藪醫者の解」←旧字体
養父とはっきり書いてあります。
この全文が
藪医者の解 汶 村
世に藪醫者(やぶいしや)と號するは、もと名醫の稱にして、今いふ下手(へた)の上にはあらず。いづれの御時(おほんとき)にか、何がしかの良醫、但州(たんしう)養父(やぶ)といふ所に隱れて治療をほどこし、死を起(おこ)し生に回(かへ)すものすくなからず。されば其の風をしたひ、其の業を習ふ輩、津々浦々にはびこり、やぶとだにいへば、病家も信をまし、藥力も飛がごとし。それより物替(かは)り星移つて、今は長助も長庵となり、勘太夫は勘益となる。當時の藪達を見るに、先(ま)づ門口に底拔(そこぬ)けの駕(かご)乘物をつるし、竹格子(がうし)に賣藥の看板をかけて、文字の紺靑(こんじやう)も、半ばは兀(は)げたり。たまさかの藥取りを賴みて藥店(やくてん)にはしらせ、物申(ものまう)は暖簾(のれん)の内に答ヘて、女房の顔をつゝむ。町役には牢舎(ろうしや)を療じ、藥代にめでゝは、河原者にのます。牛膝(ごしつ)には牛の膝(ひざ)を尋ね、鶴虱(くわくしつ)は鶴のしらみをさがす。藥のみも次第にかれて、胃の氣よわり、元氣衰へて、果ては何がし村の道場の明(あ)きをまつ。我が俳諧の道をもてこれを押せば、師説もいまだとほからざるに、其の手筋を失ひながら、宗匠めくをみるに、今はやらるゝ紗綾(さや)ちりめんの、乘物の中もおぼつかなく、緋衣木蘭色(ひえもくらんじき)のさとりの拂子(ほつす)も心許(こころもと)なけれど、佛法には藥毒の氣遣ひなければ、其の分なるべし。たゞ藪醫者のやぶはらに又出(で)る竹の子も、藪とならむこそうるさけれ。(出典 こちら)
藪薬師説があるのですが、原文に藪医者と書いてあるのでこちらの説もちょっと怪しくなります
しかしながら、今いう下手の上にあらずと書いてあるので
「すでに認知されてるもの」と言えそうです。
この時点で語源といのは厳しいと言えます